部屋の中に入ると、ベッドの端に寝間着姿で座り、項垂れるカルトの姿があった。
ヴァルムはテーブルの上に軽食を置くと、カルトの前まで歩き、跪く。
僅かに顔を上げたカルトの目の下には隈ができており、眠れなかったであろうことが伺えた。また、少し痩せたようでもあった。
「食事を取って、眠った方がいい。少なくとも、食事を取る気があるから開けてくれたのだろう」
「……………………」
カルトは小さく、首を横に振った。
「では、なぜ」
「……………………んたに」
ヴァルムが問うと、カルトは小さく口を開く。その声は掠れており、聞き取りづらいものであったが、ヴァルムはじっと耳を傾けていた。
「あんたに、会いたかった」
短く告げると、カルトは再び項垂れる。ヴァルムは椅子を引き、彼女の正面に座った。
「……公宮と約束している深夜まで、まだまだ時間がある。あんたが望むなら、暫くここにいる」
ヴァルムがゆっくりと告げると、カルトは震える手を伸ばし、彼の手へ触れる。ヴァルムは、彼女の手を取り、柔らかく握った。
「肩の怪我は大丈夫か」
ヴァルムの問いに、カルトは小さく頷いた。
「痺れはもう残っていないか」
再び、小さく頷く。
「服を斬られたとき、体に傷がついてはいないか」
三度、小さく頷いた。
「……触れられてはいないか」
どこへ、とは問わなかったが、手の微かな震えが伝わる。直後、カルトは大きく、何度も頷いた。
「初めて、男が怖いと思ったんだ」
手を握ったままで、カルトがぽつりと呟く。
「今まで、男に暴力を振るわれた事はあっても、あんな風に欲望を向けられたことはなかった」
その背が、両手が、かたかたと震える。
「あんたが来てくれなかったら、もしかしたら、あのまま」
最後まで言い切る前に、ヴァルムは彼女を抱きしめていた。震えを止めようとするように、背中を撫でながら。やがて、少し震えが治まると、ヴァルムは問うた。
「おれのことは……怖くはないか? おれも男だし、あんたに対して、……あの男と同じ欲望を持っている」
「違うよ。あんたはいつだって、俺が傷付かないように、俺の心を一番に考えてくれてる。だから、違う。同じだなんて言うな」
カルトはヴァルムの言葉を、何度も否定する。けれど、それは、ヴァルムの心に対する肯定でもあった。
「大声出せなかったからあんたには聞こえてなかったかもしれないけど、あの時、俺、ずっとあんたの名前を呼んでたんだ」
カルトがヴァルムの両腕に手を添えて少し体を離すと、二人の視線が交錯した。
「俺は、あんたのすることで、怖いことや、嫌なことなんて何もないんだよ」
「え、――――――――」
カルトが彼の両腕をぐいっと引っ張ると、次の瞬間には、二人の唇が重なっていた。
数秒間の口付けの後、唇を離したカルトは、驚いたように彼女を見つめるヴァルムへ、ふふ、と笑いかけた。そしてもう一度、彼の背をぎゅっと抱きしめる。
「あんたがどれだけ俺を大事にしてくれているか、痛いほどわかってる。だから、そんなふうに、自分を貶めるな。俺があんたに会いたくないなんて、思い込むなよ」
カルトが彼の背を撫でると、ヴァルムは心地良さそうに目を細めた。彼女の手に、言葉に、癒されるように。ヴァルムも控えめに抱きしめ返すと、力強く告げた。
「これからは、……今度こそ、ずっとあんたを守っていく」
「うん……。俺も、あんたを守るよ」
暫しの抱擁の後、カルトはヴァルムと共に、ゆっくりとだが食事を取り、少しの間、眠りに就いた。その間も、ヴァルムはベッドの端に座り、彼女を見守り続けた。
夜には、カルトも食卓に現れ、仲間たちを安心させた。
「良かった~! カルちゃん来てくれて!」
「うん。……心配かけてごめん」
「謝んないの。さ、皆でご飯食べましょ!」
その日の夕飯は、前日よりも少し和やかな雰囲気で過ごすことができた。
そして、深夜、衛兵の迎えと共に、アーベントと、ヴァルムと、――防寒服の裂けた箇所を大きめのリボンで隠したカルトが、公宮へと赴いた。