ヴァルムの再生帯の巫術によって、一行は体力を取り戻す。だが、サクラの傷が塞がっても、目を覚ますことはない。フォルティアが身体を温めるように彼女を抱き上げ、アーベントも心配そうに寄り添っていた。
今、ルスティだけが、戦う術を失った《エスバット》の前に立っている。その背中を、先のルスティの言葉を聞いていたヴァルムは、案ずるように見つめていた。
最低限の治療を施された《エスバット》は、縛られたまま、呆然と座り込んでいた。
「あたしたちの負けね……。……まさか、これほどの力だなんて……」
荒く息を吐きながら、アーテリンデは虚空を見つめ呟いた。
「《ステルンツェルト》よ、我らの負けだ。ヌシらを止めることは叶わぬ。自由に進むがいい」
目を覚ましたライシュッツも、一行を認める言葉と共に、苦しげに吐き出した。
「言いたいことはそれだけ?」
二人を見下ろすルスティの声と瞳は、どこまでも冷たかった。その手元は、彼女自身の背中に隠れ、仲間たちからは見えない位置にある。
「アナタ達、これまで沢山の冒険者を手にかけてきたわよね? それなら、手にかけられる覚悟も、当然あるのでしょう?」
「……当然だ。我らはろくな死に方をせぬだろうし、天の国へ行けるなどと思ってはおらぬ」
死を受け入れているというように静かに語るライシュッツへ、ルスティはぎり、と歯を食い縛った。
「アナタ達のせいで、ワタシの大事な友達が死んでしまったの。……今、ワタシ達はアナタ達の生殺与奪の権限を握ってる。それがどういうことか、わかるわよね」
「ええ。あなたはあなたの大切な人のために、あたしを殺すといい。あたしも……今までそうしてきたのだから」
覚悟は決めている、というように、アーテリンデは瞼を閉じた。
「お嬢様……!」
「いいのよ、爺や。先に逝っているわね」
ルスティの瞳に涙が浮かび、その手に持っていた矢を振り上げる。仲間たちは、ようやくルスティが彼らを粛清しようとしていることに気付いた。普段、陽気なムードメーカーであるルスティが凶行に出るとは思わなかったため、反応が遅れてしまう。
「ルスティさん!」
「駄目だ、ルスティ!」
アーベントとヴァルムが叫ぶと同時に、一つの影が飛び出した。
「やめろ!」
矢を振り下ろした瞬間、誰かがルスティを突き飛ばした。
目を見開いたルスティの視線の先には、青白い顔で息を荒げるサクラの姿があった。傷口が開いたらしく、脇腹に巻かれた包帯には血が滲み、その額には大粒の汗が滴っていた。
「サ、サクラ……。アナタ……」
「勝手に、殺すな。危うく、本当に死ぬところであったが……ヴァルムやフォルティアの介抱のお陰で、一命を取り留めた。……止めよ、ルスティ」
「どうして……どうしてなのよ! アナタだって、死ぬほど痛かったんでしょう!? なのに、コイツらを赦すっていうの!?」
「そうではない。我も、此奴らを赦すはせぬ。だが、手を下せば、貴様も此奴らと同じ存在に成り下がろう。我は……そんな貴様を見たくはない」
静かに諭すサクラを、ルスティは泣きそうな顔で見つめる。仲間たちへ視線を送ると、アーベントも、フォルティアも、彼らへ怒りを顕にしていたヴァルムすらも、頷いていた。
ルスティは矢を取り落とし、その場で膝を付いた。
「怒りは向上心となり、活力にも繋がる。だが、その感情に身を任せては、我を失いやがて心をも失うだろう。我が貴様を怒りの化身とし笑みを奪うなど、あってはならぬのだ」
ルスティの肩を、サクラは優しく叩く。一行は、ほっとしたように息を吐いた。
「……我らの所業は、人の道を外れた許されざる罪。公国へ報告したのち、然るべき裁きを受けよう」
「最深部にいる、あたし達の仲間……マルガレーテお姉さまを、倒すなとは言わないわ。だけど、できることなら、天の支配者を倒してほしい。それが、お姉さまや、これまで命を落とした冒険者たちの魂への、慰めになると思うから……」
やがて、アーベントによって解放されたアーテリンデとライシュッツは、《ステルンツェルト》に頭を下げると、背を向ける。
「《ステルンツェルト》……あなたたちは、守ってあげてね……大切な人のこと」
アーテリンデは背を向けたまま、最後に寂しそうに呟いた。
二人は支え合うようにして、雪原を一歩一歩と歩き去っていった。
「《エスバット》の背には、無数の魂が群がっていた」
「……はい。ぼくにも見えました。彼らは……」
「理不尽に殺められ、彼らへ憎悪を抱く者の魂……悪霊だ。肉体に縛られていないところを見るに、恐らくは、アーテリンデも魂の解放を試みたのだろうが……。ああなってしまっては、怨恨を持たれているアーテリンデはおろか、おれにも還すことはできない。彼ら自身が納得して、天へ還ろうと思わない限りは」
「あの人たちには、あの人たちの信念がありました。だけど、その為に亡くなった人たちは、浮かばれないですからね……」
ヴァルムは遣り切れなさそうに瞼を伏せ、アーベントは寂しそうに呟いた。冒険者の魂は、《エスバット》が裁きを受ける以外に救われる術を持たないのだろうか。それはきっと、彼ら自身にしか――あるいは、彼らにすらわからない。彼らの救済は、巫術師の領分ではないのだ。
出発の準備を整え、奥の扉へ向かいながら、ルスティは深く息を吐いて、サクラへ告げた。
「目の前で大事な友達を殺されかけて、初めて復讐という言葉が頭を過ったわ。でも、もう自分を見失ったりしない。アナタが守ってくれたこの心、大事にするわ」
サクラも静かに、微笑みながら頷く。冷たい空間に、温かな空気が流れた。